ゲット屋タッちゃんを偲ぶ
ゲット屋タッちゃん〜
中嶋辰夫さんを偲ぶ
宇土地蔵の並ぶ駐車場から奥に少し歩くと船場蔵屋敷があります。素敵なお店で、たまに利用しています。
その道沿いに、不思議なお店がありました。タイムスリップしたような店構えです。
「100円くじ」の手作りのポスターや、色々工夫を凝らした仕掛けに「どんな人が住んでいるのだろう?」と、私は建物の二階を見上げ写真を撮ったりしていました。
ずいぶん前の事です。
昨年、UMASのお仲間の志垣さんから、一緒に音楽のボランティア活動をしている方を紹介したいと言われました。
宇土の船場橋の近くの方と聞いて行くと・・・なんと!あの謎だった「100円くじ」の方でした。
ゲット屋タッちゃんとの出会いです。
タッちゃんは、私を当たり前のように「どうぞ、どうぞ」と船場橋のエノキの日陰に連れて行き、そして切り出し石を椅子のようにすすめました。
ハンカチを2枚置かれて、志垣さんと私は並んで座りました。ここはタッちゃんの部屋なんだなと思い面白くなりました。
晴れた夏の終わりだったと思います。
冬に手術されたタッちゃんから
「あんたがどこさ」を船場橋で合奏しよう!と指令がありましたよ。そう志垣さんから連絡がありました。
お元気になられたなぁと思い嬉しくなりました。
私に、赤のウクレレと楽譜を渡されたのが5月の半ばです。コロナ自粛で、我流の自宅練習になりました。
6月10日にやっと船場橋のエノキの下に3人集合し練習しました。
私はタッちゃんから、弦の押さえ方や、持つ姿勢や抱え方の基礎を教えて頂きました。
私が、首かけストラップが長いようだというと、自分のストラップを外してコレを使いなさいとくれました。
タッちゃんの歌声と演奏を聴き「船場川によく合うなぁ」と変に感心して解散しました。
その数日後の事です。
タッちゃんは倒れ、緊急入院をされる事になりました。
病室でもギターを持たれ看護師さんを笑顔にされていました。
・・・7月17日の午前1時。
タッちゃんは、あっという間に還らぬ人になられました。
本当に先月、船場橋で朗々と歌を歌われていたのです。
・・・今、私の手元にタッちゃんの赤のウクレレとストラップがあります。
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